腐乱心
必ず生きて帰る
そういって旅立ったのは、未だ涼しさを感じることができる風が撫でる時期だった
今は戦場という合法的に人殺しが許された盤面の上に立っている
覚悟の上だった
車に揺られる中でも戦地に向かう飛行機の中でも、狂っているなんて初めは判らなかった
現地に降り立ち、部隊を振り分け即座に戦場へ放り出される
後は盤面の駒となり、相手の駒を排除する日常だけが広がるだけだ
その日々に半年前、胸に秘めながらも戦場へ往く決意をしたことを後悔している
そして国のためという忠義の思いが今、幻想となって俺に笑いかけてきていた
せせら笑うその声に反論する気力も今の俺には残されていない
それでも、どうにかならずに人として生きているのは奇跡に近いものだと思う
生きている事は生きている
それが、幸運かもしれない
それが、不幸かもしれない
皆が抱えているこの問題に挑戦した男は、上官を射殺し自分の頭を撃ち抜いた
笑いながらの最後だった
その行動に感傷する者はいなく、戦場で指揮系統が乱れて何人かはただ死んでいった
50人いる部隊も減っては増えての繰り返し
顔なじみが消えては、新参がいつか見た時と同じ顔で入ってくる
暫くしたらその顔が部隊に馴染んで、ただ死んでいくだけだ
この流れ作業に例えを言った男がいる
何時も、本を読んで日記をつける律儀な男だった
男は本に目を通しながら、同じキャンプの面子にこう言ったそうだ
ここは腐った蜜柑の箱の中だと
ひねりのない話だった
腐った蜜柑が箱詰めにされている中に新しい熟れた蜜柑を放り込む
まずは人を撃ち殺す事の重要性と正当性を説かれ、人形を狙い撃つ事から始める
人の顔が張り付けられた、人の形に作られた板でしかない
マネキンのほうが余程、人間らしい
それでも、銃すら握った事のない新兵は躊躇する
躊躇した
自分達が握る金属の部品で形作られた4.3kgの銃が重くなっていく
指が固まり、引き金が妙に粘り付き、重い
引き抜く瞬間から銃は吠え散らし、頭を狙っていたはずの銃口から吐き出された弾丸は左耳あたりの板を掠めては虚空へと消える
それからは毎日
人を殺す訓練を行う
毎日、毎日
決まった人殺しの練習を延々と
娯楽施設すらありはしない
あるのは閑散とする屋外運動場という名の空き地
自分の殻に籠って音楽を聞き、言葉を紙に記し、雑誌の風景から故郷に思いを馳せる
不平不満は当然漏れる。職業軍人になりたいから志願したわけじゃない
大部分は生きる為に。もっと言えば、心の何処かで正義の味方に憧れていたに違いない
悪い奴らから俺達の住む土地を、街を、大切な家族を、恋人を
本気で護れるものだと勘違いしていたのかもしれない
その強い思いが薄れる事無く身体を焼く
そうして熱を持ち続けるナマモノは次第に痛み腐っていく
やがて身も心も程良く腐ってきたら頃合いだ
戦場という売り場に出荷されていく
敵だろうが売り場に出れば皆、同じ
死神に買われまいと必死に腐ったままを装う
少しでも腐りが甘いと買われてしまう
どん底を目指して腐っていくしか生きる道は無かった
今日もまた、死んだ奴の予備がこの地に呼び寄せられる
何時か見た顔と同じ、甘い謳い文句に釣られた連中
英雄になりたい奴らがやって来る
肥溜よりも酷い異臭を放つこの場で腐っていく
過去を見つめている。俺達の過去を
それでも言葉に出さない
仲間が増える事が嬉しいわけでもない
かといって注意するわけでもない
どうでもよかった
他人がどうなろうと
兵の間には変な絆などという都合の良いモノは無い
心底どうでもよかった
今日もまた死に往く奴らが銃を握って地に伏せる
今日もまた戦場という盤面に並べられて駒は動かされる
慣れてしまえば
考える事を辞めて楽になれる
今日もまた
今日もまた




